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日誌

「シンデレラ」を読み解く その1

 

「今月はもう少し頻度を上げてブログを更新したい」と言っていた記事から早や3週間…。こんにちは、学びの森のタナカです。

 

 

 

 

長く降り続いた大雨が止み、真夏のような暑さが続いている京都・亀岡。

 

 

学びの森は幸い直接的な豪雨の被害を受けませんでしたが、亀岡では大きな被害を受けた地域もあります。

 

 

この大雨で被害を受けられた方々、非日常な生活を余儀なくされている方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧を祈念しております。

 

 

そしてこの7月と思えぬ暑さによる熱中症等の被害が出ないよう、学びの森としても気をつけて日々の学習に取り組んでいきたいと思っております。

 

 

 

 

さて。

 

 

学びの森の中学生の桜井ゼミでは、今「シンデレラ」を読み解いております。

 

 

 

 

皆様、シンデレラ と言われて、何を思い浮かべるでしょうか。

 

 

青いドレスに魔法使いのおばあさん、かぼちゃの馬車にガラスの靴…

 

 

「シンデレラ」から連想されるこれらの印象的な事物は、おそらくディズニー版のシンデレラからやってきたもの。

 

 

このディズニー版シンデレラはシャルル・ペローの「サンドリヨン(灰だらけ姫)」を原作にしているようですが、実はあの有名なグリム童話にも「灰かぶり姫」というお話があります。

 

 

ディズニーの「シンデレラ」と、その原作ペロー版「サンドリヨン」、そしてグリム童話の「灰かぶり姫」。この3つを比較してみたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まずディズニーのシンデレラを鑑賞した我々。

 

 

皆さんご存知のとおり、母親を亡くした美しい娘が主人公のこの物語。

 

 

ディズニーの公式サイトの説明を引用すると…

 

『シンデレラ』(1950)に登場する、明るくて気品のある美しい娘。幼い頃に両親を亡くし、まま母のトレメイン夫人とその2人の連れ子にメイドとしてこき使われます。それでもいつか幸せになれると信じて働くシンデレラに気付いた妖精のおばあさんは、魔法で彼女をドレスアップさせ舞踏会へ送り出します。

 

 

舞踏会にやってきたシンデレラは王子様に見初められますが、魔法が12時に解けてしまうため大急ぎで王子様の前から姿を消してしまいます。そこでシンデレラが落としたガラスの靴を手掛かりに王子様は国中の娘たちの中からシンデレラを探し出し、見事2人は結ばれ幸せに暮らしましたとさ、というお話ですよね。

 

 

 

 

幼少期に見て以来、久しぶりに見たシンデレラ。幼い頃はディズニーの可愛らしい絵柄と、夢と希望にあふれたストーリーに心ときめかせた記憶があるのですが、大人になって見てみるとまた違ったものが見えてきました。

 

 

「王子のお父さんってこんなに息子を結婚させるのに必死な人やったんや…」

「王子のお父さんにとって結婚に必要なものはロマンスなんか…」

「いやいやお父さん、息子の結婚への執着おかしいやろ…」

「恋愛結婚至上主義的考え方が見て取れる気がする…」

 

 

…上記感想はすべて私個人が感じたものです。

 

 

タナカのように年を経てひねくれた感想を持つようになった者もいれば、「やっぱり夢があって素敵!」と言う生徒も、「初めて見た」と語る生徒も、感想は三者三様でした。

 

 

 

 

それぞれの感想を共有してから確認し合ったことは、このディズニー版シンデレラは「夢」を信じることの大切さを描いているのではないか、ということ。

 

 

シンデレラが信じていたのは「神」でもなく「愛」でもなく、「夢」。

 

 

シンデレラの挿入歌のひとつである「夢はひそかに」でも、こんな印象的なフレーズが出てきます。

 

 

夢で幸せを つかみなさい

美しい夢は 願いを叶えてくれるでしょう

 

 

 

 

幸せをつかみなさい」!

夢は願いを叶えてくれる」!!

 

 

「幸せをつかむ手段は『夢』」であり、「願いを叶えてくれるのは『夢』」であるというこの歌詞に、ディズニー版シンデレラが伝えたいことのエッセンスが詰まっているような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこのディズニー版シンデレラの原作である、1600年代に刊行されたペロー版シンデレラ「サンドリヨン」。

 

 

基本的な物語の流れはディズニー版シンデレラと大差ないのですが、ところどころに違いが見受けられます。

 

 

以下にペロー版のディズニー版との違いを挙げてみます。(ペロー版シンデレラの日本語訳では主人公の娘は「シンデレラ」ではなく「サンドリヨン」という名なのですが、ここでは統一して「シンデレラ」と呼ぶことにします。)

 

 

 

① シンデレラの父親は生きていること

 

ペロー版シンデレラでは、「父親はすっかり母親にまるめられていて、いっしょになって、こごとをいうばかりでした」とあり、シンデレラの実父は未だ生きていること、しかし母親と同じになってシンデレラにつらくあたることが記されています。

 

 

② シンデレラが舞踏会に行けるようにするのは、シンデレラの洗礼式に立ち会った「名づけ親の教母」であること

 

ペロー版シンデレラでは、舞踏会に行けず泣き伏しているシンデレラのもとに「サンドリヨンの洗礼式に立ち合った(ママ)、名づけ親の教母が出て来て、むすめが泣きふしているのを見ると、どうしたのだといって、たずね」た、そして「このサンドリヨンの教母というのは、やはり妖女でした」とあります。かぼちゃを馬車に、ネズミを馬にするところは、ディズニー版と同じです。

 

 

③ シンデレラが落とした靴はガラスの靴ではない説

 

ペロー版シンデレラ(の楠山正雄訳)では、妖女が与えた靴は「それはそれは美しいリスの皮の上ぐつ(ガラスの上ぐつだともいいます。)」となっています。シンデレラが12時の鐘に慌てて帰ろうとして落とす靴は「金の上ぐつ」となっているので、楠山訳のペロー版シンデレラでは厳密にはどんな靴なのか確定できないのですが、ここで「シンデレラの落とす靴がガラスの靴じゃないパターン」が出てきました。

 

 

④ 2人の姉をお城へ引きとるところまで描かれていること

 

ペロー版シンデレラでは、見事王子様と結ばれたシンデレラが「ふたりのきょうだいをも、お城へ引きとってやって、ご婚礼のその日に、やはり、ふたりの貴族にめあわせることにしました」とあります。そしてその理由として「サンドリヨンは、顔が美しいように、心のやさしいむすめでしたから」という一文が。これは次の⑤につながっていきます。

 

 

 

⑤ 伝えたいメッセージが「夢」ではないこと

 

シャルル・ペローが発表した「ペロー童話集」に収められているペロー版シンデレラ、「サンドリヨン」。ペロー童話集所収の作品には、どの物語にも最後に「教訓」が記されているそうです。「サンドリヨン」も例外でなく、最後に「顔とすがたの美しいことは、男にも女にも、とうといたからです。でも、やさしく、しおらしい心こそ、妖女のこの上ないおくりものだということを知らなくてはなりません。」という教訓が。ここから、ペロー版シンデレラは「やさしく、しおらしい心」を持つことの大切さを説いているのではないかと推測できます。

 

 

 

 

このほかにも細かな違いはいくつかあるのですが、大きなものを取り上げるとこんな感じでしょうか。

 

 

ここまででだいぶ長くなってしまったため、続いての本丸、グリム童話版シンデレラとの比較は次回の更新でお話しようかと思います!(必殺ネタ延ばしの技)

 

 

続きもぜひお読みください。