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日誌

あかたさんがやってきた②

 

先日の「あかたさんがやってきた①」に引き続き、あかたちかこさんの出前授業の話をしたいと思います。

 

 

性の話、恋愛の話、その前にあるあらゆる人との人間関係の話…。それら全部をひっくるめて「性教育」とし、一緒に話をしよう、という試みのこの授業、その名も「あかたさんと話そう」。

 

 

前もって学びの森の生徒たちが出し合った「あかたさんと話したいこと」をテーマにしながら進んでいきます。

 

 

 

 

 

壁一面に広がるテーマ

 

 

 

 

先日の記事では「『好き』ってなんやろう」から始まり「手をつなぐ」のすききらい、「話し合いが交差しない相手とどう共に在るか」に至ったところまでお伝えしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後「異性間の友情はありえる?異性間には恋愛感情の『好き』しか存在しえないの?」という話題から、「そもそもその問いは異性愛を前提にしているのではないか」という話に。

 

 

そこから、「LGBT」の説明、「セクシュアルマイノリティの人との接し方」について話が広がっていきました。

 

 

 

 

その中で印象的だったのが、あかたさんのこの言葉。

 

 

「『セクシュアルマイノリティの人との接し方』って言われてもほんま人それぞれやしねぇ…。たとえばみんなさ、『不登校の人との接し方』教えてって言われても困らん?学校行ってた頻度も行きたくない気持ちの度合いも、人それぞれ全然ちゃうわ!って思わん?」

 

 

この言葉を聞いてハッとしました。

 

 

「そういえばそんな内容のブログを書いた覚えがあるわ、私」と過去にここで書いた記事「『不登校』だから?」のことを思い出しました。

 

 

 

 

大学生の方から、「生徒と接する時、『不登校』だから気をつけてることって何ですか?」と尋ねられた時に感じた、

 

 

「不登校だから」でなく、それよりも、「この子はこういう考え方をしているから」、「こういう要望があるから」、「こういうことに傷ついてきたらしいから」、「こういう工夫をしたら分かりやすくなると思うから」という、一人ひとり異なった、個別性の高い具体的な理由で気をつけていることが多い

 

 

という気づきと同じことなのかも?と思ったのです。

 

 

 

 

その後あかたさんの語っていた

 

 

「『セクシュアルマイノリティ』っていうのは、『性的少数者』ということ。多数派のことは『セクシュアルマジョリティ』と言います。でも多数派って名前がつきにくいんですよね。学校に行かへん人のことは『不登校』って言うけど、行ってる人を呼ぶ名前ってないやん?『登校』…?そんなん言わへんやんな」

 

 

という言葉もいろんなことを考えさせられる、印象的な言葉でした。

 

 

 

 

と、めちゃめちゃ身につまされたりめちゃめちゃおもしろかったりめちゃめちゃ印象的な言葉をもらったりめちゃめちゃ気になることができたりと、❝スタッフとして❞よりも❝いち参加者の人間として❞楽しんだ、「あかたさんと話そう」。

 

 

次回、第2回の模様もまたブログでお伝えしたいと思います!!