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日誌

「分からへん」の定義

 

先日ある生徒と、国語の問題集を解いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

教科書準拠の、よくある学習ワークです。

 

こういった国語の問題集につきものの、「傍線部『~』とありますが、その理由はなぜですか。文章中の言葉を用いて○○字以内で答えなさい。」という記述式の問題。

 

 

生徒が空欄のまま置いていたため、「分からへん?」と聞くと、彼は「うん」とうなずきました。「そうか」と答えた私が一度問題文を声に出して読んでみます。

 

「傍線部『~』とありますが、その理由はなぜですか。文章の中の言葉を使って、○○字以内で書きなさい、っていう問題なんやな」

「うん」

「その理由ってどのへんに書いてあんのかは分かる?」

「…(首をかしげる)ここ?」

「あ、合ってるわ。分かってるやん!ほな理由聞かれてるんやから文の最後は何にせなあかんの?」

「から」

「そやな。ほな答えはどうなる?」

「~~~から?」

「出来てるやん!」

 

 

こんなやりとりが、ひとつの単元の中で2~3度続きました。そこであることが気になった私。

 

 

「○○(生徒の名前)は私が問題文を読んで答えがどこに書いてあるか聞いたら答えられるけど、それは自分だけで解いた時から元々分かってるの?それをどう書けばいいかが『分からへん』の?」

「ううん、自分で解いた時はどこにあるかも分からへん」

「それが私が問題文を読んだら分かるようになるの?」

「うん」

「そうなん!?それは書いてある問題文に比べて私の読み方のほうが分かりやすいから?」

「ううん」

「そっか…、まあ私別に特別な読み方してへんもんな、問題文そのまま声に出して読んでるだけやし…」

「うん」

「ほななんで分かるんやろうな?」

「…なんでやろ?」

 

 

2人で頭をひねったものの、この場で答えは出ませんでした。

 

ですがこの時、生徒の言う「分からへん」が「何がどう『分からへん』のか」はちゃんとその時の本人に聞いてみないとほんまに分からへんな、と思いました。

 

経験を積めば積むほど、こういう問題で生徒が「分からない」と言った時には大体この辺りが分からなくてそう言うんだろうな、という見立てを立てられるようになります。ですが話をしっかり聞いてみると、「そこが『分からへん』かったんか!」というような意外なポイントで悩んでいたり迷っていたりすることがあるのです。

 

何が分からないから生徒たちが「分からへん」と言うのか。それを確かめないと、その状態を解消する正当な手続きを踏むことはできません。

 

もちろん「何がどう分からないか」を説明することには自分の状態や気持ちを言語化する力がいりますし、子どもたちにとって簡単なことではありません。(よく考えれば大人にとってもなかなか難しいことかも)

 

ですが自分の意思を相手に伝え理解してもらう、という行為は生きていく限り一生続くはず。

 

その練習の一環としても、そしてもちろん学習をより確実に進めていくためにも、その時のその生徒の「分からへん」の定義が何なのかを確認するステップは丁寧に踏んでいきたいと思った出来事でした。