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日誌

自分自身に対する「経験値」を上げる ~入院生活で考えたこと~

 

 

本日12月22日は、学びの森フリースクール・ハイスクールの年内最終授業日でした。

 

昨日、学びの森クリスマスパーティーを生徒の主導で開催しました。(その模様はまた後日ブログでお伝えしたいと思います)

 

そこで一年のふりかえりを一人ひとり語ってもらったのですが、みんなの言葉に確かな成長と強さを感じ、私もこの一年の中で経験した大きな出来事を振り返ってみたいと思い、このブログを書くことにしました。

 

 

 

私のこの一年で最も大きかった出来事は、こちらの記事で書いたように、3週間学びの森をお休みし、入院・手術を経験したことでした。

 

その時に「自分ってこんな風に考える傾向があるんだな、あの生徒と似てるかも」「私ってこういうことがあるとストレスに感じるのか、あの生徒とちょっと共通するところがあるかも」と感じること、気づくことがいくつかありました。

 

そこで、入院生活の中で気づいたことについて書いてみたいと思います。

 

 

 

入院していた病室

 

 

 

 

その1

 

この時期の自分にこんなことが起こると思ってもいなかった、2度の手術と3週間の入院生活。入院前から、「これだけ長期間仕事を休む以上、この入院を何らかの意味ある経験にしなければ。時間がたっぷりあるのだから、普段忙しさにかまけて考えてこなかったことや、考えるのを避けてきた問題にちゃんと向き合わなければ」と思っていました。

 

しかし、入院し始めて数日間、「考えなあかん」という強迫的な思いばかりが空回りし、見事に考えられません。

 

今思えば、手術後数日悩まされた全身麻酔の副作用と術後の反応による高熱・倦怠感、ざっくり切った首の手術後の痛み、患部が落ち着き鼻に挿入されているチューブに慣れるまでうまく声が出せなかった期間にコミュニケーションが取れず感じていた不安感など…、心身ともに思考を促せない要因があったため「考えられない」のは当たり前だったと思えるのですが、当時は「考えられへんまま入院終わっちゃう!」と焦りに焦りました。

 

入院10日目、その焦りと不安を見舞いに来てくれた母に伝えてみると、意外な返答が返ってきました。

 

「なんで考えなあかんの?考えんでええやん。考えんのやめ」

 

それを聞いた瞬間は「は?考えなあかんに決まってるやろ…」と思ったのですが、その夜眠りにつく時にふと「明日は考えんのやめてみるか」と思え、翌日は何も考えずひたすら大好きな漫画(のだめカンタービレ)を全巻読み返しました。

 

全25巻を読み終え、ふっと漫画から顔を上げた瞬間、「楽しかった~~~!」という気持ちが湧き上がり、パーッと視界が開けた感覚がありました。そして、漫画を読んでいる間は「考えなあかん」と思っていなかったこと、手術後からずっと「おもしろい」「楽しい」という感情を感じていなかったことに気づきました。「『おもしろい』とか『楽しい』って心がめっちゃ気持ちよくなる、ええ感情やな…!!」と変に感動した瞬間です。

 

そしてこの日から、それまで自分の頭の中を圧迫していた「考えなあかん」という思い込みが自然と薄れていき、「気づいたら考えてた」という現象が起こり始めました。

 

 

 

 

私に「楽しい」を提供してくれた本たち(病室の本棚)

 

 

 

ここで気づいたことが、

 

①自分のやり方でうまくいかなかった時は他人の言ったやり方を試してみるといいかもしれない

②「楽しい」というポジティブな感情は次の行動のエネルギーにつながるようである

 

という2点でした。

 

 

ここで、学びの森のある生徒のことを思い出しました。

 

おうちでのおもしろかった出来事や楽しかった出来事、好きなものの話をする時の本当に楽しそうな大きな笑顔の一方で、現在の自分と未来の自分を思うと不安になり「何か勉強するものはないか」と尋ねてくるなど、「不安」が行動の動機になっているように思う彼女。「不安」を動機に行動すること自体がよくないことだとは思いませんが、彼女の行動の動機の中に彼女の好きな「楽しい」「嬉しい」という感情を増やしていければ、彼女が現在苦しんでいることが案外するっとクリアできたりするのではないか?と想像したのです。

 

 

 

 

その2

 

「入院中、暇やで」。

 

入院前に会う人会う人に言われた言葉ですが、実際に入院してみたところ、私の入院生活は想像以上に忙しいものでした。だいたいのタイムスケジュールは以下のとおり。

 

 

 7:00  起床

       朝の支度、検温等、吸入

 8:00  注入食(朝食)スタート

       (約2時間身動き困難)

10:00  注入食終了

11:00  昼の検温等・吸入

12:00  注入食(昼食)スタート

14:00  注入食終了

15:00  診察 ※

16:00  入浴

17:00  夜の吸入

18:00  注入食(夕食)スタート

20:00  注入食終了

20:30  夜の検温等、寝支度

21:00  消灯

22:00  睡眠薬注入、就寝

 

 

このタイムスケジュールで日々を過ごしていたのですが、 ※ をつけている「診察」がなんともくせ者でした。

 

 

 

 

機械で2時間かけて鼻から注入される食事

 

 

診察の時間は固定されておらず、担当の先生の手術の有無や外来の診察終了のタイミングによって毎日変わるため、何時に診察室に行かねばならないのかが読めないのです。この「時間が読めない」ことに自分が想像以上にストレスを感じることに、入院して初めて気づきました。診察が押せば入浴も遅れ、入浴が遅れれば注入食が遅れ、注入食が遅れれば何にも拘束されない夜の自由時間が減り、とどんどん後ろ倒しになる一日の予定。あるいは診察に被らないように入浴や買い物にお出かけできるタイミングを探りそわそわと心配しながら過ごす一日…。この日々が、自分が思っていた以上にストレスフルでした。

 

こんなふうに、

 

予定が立たないこと、立てた予定が狂うことに対して不安や焦りを感じ、ストレスに感じやすい特性を持っているようである

 

ということに気づいたタナカ。

 

 

これに思い至った時、また別のある生徒の顔が思い浮かびました。

 

一日の予定が見えにくかったり、自分が想定していた予定が乱れたりすることが苦手なその生徒。私自身にこんなところがあるんだと気づいた時に、「あ、これって○○(生徒の名前)と似てるかも!」と思ったのです。自分の経験を生徒に「この子もこうだろう」と安直に当てはめることは危険ですが、この時に生徒の「苦手」感を私も追体験できたような気がして、自分自身もこういうところを持っているなら、どうされたらやりやすいだろう?と考えました。

 

私自身は

 

①こういうところで不安を感じることがある、と自覚する

→「予定通りにしたい」という自分のフレームをゆるめることを意識しはじめる

②一日の予定を紙に書き出して整理する

→どの予定が不安を生み出す原因なのか可視化できる

③「こういうところで不安を感じるんだよね」と誰かに話す

→話をし、共感してもらい、知ってもらうことで具体的に解決しなくても安心感を得られる

 

の3点がけっこう効果がありました。

 

 

 

 

その3

 

入院生活で身をもって実感したことのひとつに、「医療行為は因果関係で成り立っている」ということがありました。

 

患部が炎症を起こしている→炎症を抑えるための投薬をする

通常の身体には存在しないものが存在している→それを切除するために身体をメスで開く

投薬した薬で目まいが生じる→それを解消するために薬を変える

本来存在すべきでない穴が内臓に開いている→その穴を塞ぐために粘膜を薬で焼く

 

上記はすべて私が入院中経験した医療行為なのですが、「こういう症状があるから、それを改善するためにこの行為を行う」という関係性がはっきりしているように感じたのです。

 

 

私自身はこれまでお医者さんというものに不信感がありました。それは「行ってもたいしてよくならない」という実感があったからなのですが、これまで「行ってもたいしてよくならない」と感じていたのは、因果関係の「因」である自分の症状をうまく伝えられていなかったからではないか、と思うようになりました。

 

「痛い」と言うのは我慢強くない。お医者さんも忙しいし、診察の時にあまり質問攻めにしても申し訳ないな。迷惑な患者と思われたくない、できるなら「いい患者」でありたい。1から10まで全部言わなくても、看護師さんもお医者さんも、経験があるからきっと察してくれるだろう。

 

これまでは、そんな風に思っていました。

 

 

 

 

医療に管理されてる!と思った、手首につけられたバーコード

 

 

ですが周りの人たちのアドバイスもあり、「医療って因果関係で成り立ってるんや」と気づいてからは、遅ればせながら、「こっちが伝えな向こうも分からんわな!」という境地に至りました。

 

痛みを感じれば「痛い」と言う。薬を早めに持ってきてほしければ「持ってきてほしい」と言う。不安を感じることがあれば「大丈夫ですか」と尋ねる。治療について希望があれば「こうしたいんですけど出来ますか」と尋ねる。分からないことがあれば「分からないので教えてください」と聞く。

 

こうして「思ったことは相手が察してくれることを期待せずなるべく的確な言葉にして相手に伝える」ということを自分なりに意識的に取り組んでみたところ、生活が楽になりました。

 

相手が察してくれることを期待していたそれまでは、察してくれなかった時には勝手に相手に失望し、そんな風に勝手に失望してしまう自分にも失望し、もちろん現状は改善されず…ということを繰り返していたのですが、まずその「勝手な失望」が少なくなりました。勝手な失望が少なくなれば心の小さなダメージも少なくなり、うまく伝えられれば相手に理解してもらえ現状が変化する…といういいことづくし。(医療という、多くの行為が分かりやすい因果関係に基づく世界だからこそ経験できた成功体験だったのかもしれませんが)

 

 

このことに気づいた時、私が生徒との会話のやりとりで実現したいもののひとつはこれかもしれない、と思いました。

 

自分の状況や作りたい現実をなるべく実態にフィットした言葉で伝えてもらい、こちらがそれを受けとり、可能なかぎり現実にしていく。

 

この仕事をしている中で、こういう経験を生徒の中に蓄積してもらいたいのかもしれない、と。

 

 

ということで、職場復帰後の今はもがきながらもそれに向けてやりとりしようとしているところです。

 

 

 

 

 

以上3点の気づきについて文字にし、改めて振り返ってみると、入院生活は総じて私にとって「『自分』という生き物への経験値を上げる経験」だったと感じます。

 

自分がこういう状況でどういう思考パターンに陥りやすいのか、どういうことへのストレス耐性が低いのか、そんな時にどう動けばストレスが軽減されるのか、どういう感情をエネルギーにして自分が動くのか。

 

こういった「経験値」を積み重ね言語化したことで、以前の自分より「生きやすい」自分になった実感があります。

 

来年一年は、この経験を私なりに学びの森に還元していきたいと思います。

 

うまくいくかどうかは分かりませんが、そうなった時はその都度また振り返って、言語化して、相手がいることであれば相手に伝えて、現状を変えていきたいなと。

 

 

 

ブログではまだお会いすることがあるかと思いますが、生徒たちと会うのは、私は今日が年内最後。

 

みんな、よいお年を!